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コインランドリー

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緋田美琴
緋田美琴

 すらりとした人だった。身長はわたしよりやや上程度で、飛び抜けて高いわけではないのだが、ひとたび手足を動かすと、筋肉質なそれが実寸以上に長く見えた。そのように見せる動きが身に染み付いているらしかった。彼女はコインランドリーにやって来ると、その様になった動作で洗濯機に洗濯物を放り込み、スイッチを押し、あとはただ黙ってダンスか何かの動画を見ていた。わたしは度々、その気品ある獣のような佇まいを見ていた。  わたしがダンススタジオ一階のコインランドリーに通っていたのは、家に洗濯機がなかったからだった。その頃はとにかく、仕事に打ち込んでいた時期だった。忙しい人間の常として、部屋は荒れ果てるか生活感がなくなるかのどちらかへと行き着く。わたしは、後者のタイプだった。食事は毎食会社で取るし、服も決まったものしか着ない。ベッドで寝ているだけだからものを散らかすことがないし、家にいる時間が短いからゴミも出ない。ゴミになるようなものは、気付いた端から捨ててしまった。そうすれば、貴重な休みの時間を掃除や片づけに使うことにもならない。どんどん床面積が広くなっていく部屋を見て、わたしは密かな満足を覚えた。ものを捨てるたび、身軽になっていくような気がした。だから、洗濯機が壊れたときも、大した感慨はなかった。ああ、また捨てればいいか、と、それくらいのものだった。それに、コインランドリーで洗濯をするのは、案外気持ちのいいものだった。徒歩10分ほどの道のりは散歩にちょうどよく、洗濯物を機械に任せたあとは、近所で買い物でも済ませるか、スマホでも眺めて待っていればいい。そういう陽光の匂いがする時間は、家で寝ているだけの休日には訪れることのないものだった。窓に面した合皮ばりの椅子に座って、洗濯槽の回る音を聞いているうちに、うたた寝していることも珍しくはなかった。連日の残業で疲れていたのだろう。  その日もわたしは傾きかけた日差しを浴びて、窓際でうとうとと微睡んでいた。すると、あのすらりとした人が入ってきて、洗濯機のドアを開けると、そのまま困ったように立ち尽くしているのが見えた。その様子があんまりにも哀れっぽく、迷子の犬みたいだったから、わたしは思わず声をかけた。「どうかされましたか?」驚いた様子もなく、彼女は静かに微笑んだ。「乾燥を続けたいんだけれど、硬貨が無くて」そして、その視線を誘導するような指先で、部屋の隅を指した。「両替機も、調子が悪いみたいなの」  彼女がわたしの両替した100円玉で乾燥を続けている間、わたしたちはぽつぽつと世間話をした。彼女は上のスタジオを時々借りており、そこでダンスの練習をしているらしかった。彼女の身のこなしは、ダンサーゆえのものだったのか、とわたしは一人得心した。毎日のようにレッスンに通っているとのことだったから、それは洗濯物も多くなることだろう。わたしと同じく、彼女も家の洗濯機の調子が悪くなり、一時的にここに通っているということだった。彼女の名前は美琴といった。美琴。佇まいに似合う、無駄のない名前だと思った。  互いの洗濯機の話から、話は自然に互いの部屋の話に移った。話を聞く限り、彼女も部屋に物が少ないタイプだった。彼女は大げさな反応を返すわけではなかったが、考えながら相手の話を聴く習慣がある人物のようだった。かすかな頷きや相槌が心地よく、わたしは思わず話すつもりのない近況まで話してしまった。 「最近、仕事が楽しくて。できることが増えてきて、ようやく自分のやりたいことができるようになってきたっていうか」 「うん」 「部屋にものがないと、仕事に打ち込める気がしませんか。残業とか出張とか続いて、出しっぱなしの服とかゴミとかのある部屋に帰ってきたときの、ウッて感じ、ありますよね。それがないのが嬉しいっていうか……そういうの、ないですか?」 「……そうかな」  わたしは面食らった。てっきり、彼女もわたしと同様、何かに打ち込むために部屋のものを少なくしていると思っていた。その思い込みが裏切られた焦りのせいか、つい食い下がってしまった。 「そうですよ。美琴さんも、死ぬほど叶えたい目標とかそういうの、あるでしょ?」 「うん、そうだね」 「だったら……」 「パフォーマンスでみんなを、感動させられるようになりたいの」  静かにそう呟かれたとたん、彼女を取り巻く空気が止まったような気がした。ああ、すごいですね、とか、なれますよ絶対、とか、そういう言葉で押し流すことを拒否するように、その宣言はそこに留まり続けていた。 「死ぬほど」  それは決して冗談に聞こえなかった。  わたしは結局、新しい洗濯機を買った。繁忙期を抜けた途端に、洗濯のたびに外出するのが億劫になったからだった。家にいる時間が増えるにつれて、かつて捨てたはずの家電や生活用品が再び買い揃えられていった。結局、いつまでも走り続けられるわけではなかったのだ、と思った。これが正しい姿、わたしのあるべき部屋だったのだ。  新しい洗濯機のスタートボタンを押したとき、ふと彼女の姿を思い出した。無駄なくすらりとした、美しい彼女。でも、床に放置されているバッグを見たとたん、そんなことは忘れてしまった。わたしは洗濯機に背を向けて、充電中の掃除機をつかんだ。