ハテナ


決して埃を落とさないように、ゆっくりと押入れから衣装ケースを下ろす。薄汚れた蓋をずらし、ぎっしりと詰め込まれた中身を見る。違う。これも外れだ。蓋を元に戻しつつ、普段つけない腕時計を確認すれば、家を出る時間まであとたった四分しかない。次が違ったら、もう諦めて家を出たほうがいい。 そもそも、結婚式の招待状が来たときに探していれば、こんなに焦ることはなかったんだよな、と今更すぎる反省が頭をよぎる。突然届いた招待状の差出人を見て、思わず叫んでしまったのが数ヶ月前。その時わたしは、美奈のことなんてすっかり頭になかった。いざ美奈のことを思い出してみると、それまですっかり忘れていたことがありえないことのように思えた。高校二年生あたりのころは、それこそ永遠の親友で、いつまで経っても二人で遊びに行くんだって思ってたのに。 二人とも部活なんてやってなかったから、放課後はさっさと駅まで行っちゃう。で、駅下のマックで駄弁って、そのまま別に用があるわけでもないのにアトレに上がる。三階のWEGOとか見て、七階のタワレコをぶらついて。あの真っ黄色な棚を見て、イルミネちゃんの特設コーナーできてんじゃん、さっすが、ツアー発表されたもんね、なんてはしゃいだりして。 イルミネちゃん。 その頃、わたしと美奈はイルミネーションスターズというアイドルユニットを推していた。彼女は箱推しだったけど、わたしは特に八宮めぐるちゃんが好きだった。新しいグッズが出る度に、美奈は三人全員分を買うんだけど、わたしも彼女と同じ熱量で推したかったから、全然必要ないのにめぐるちゃんのを三セット買っていたりした。そんないる? と笑って聞かれるたび、あれだから、保存用、観賞用、布教用だから、と私も笑って答えていたのを覚えている。布教用って、アクスタでどうやって布教すんのよ。さあ、そういうのは買ってから考えるんじゃん? 確かにね。必要とかじゃないもんね。そして結局、いつも二セットが保存用になった。 イルミネを二人で追いかけたのは、高三の前半までだったように思う。受験が近づいてくると二人とも情報を追うことができなくなって、そうなると一気にイルミネ熱も下がっていった。大学行ったらお互いの近場まで遠征しようね、なんて二人で話したこともあったけど、結局別々の大学に入ってすぐに、美奈との連絡頻度は落ちていった。毎日同じ学校に通って、嫌でも顔を突き合わせることが、どれだけわたしたちの関係を形作っていたのかを実感した。結局、美奈は大学の知り合いと同じくらいの枠に収まってしまった。ストーリーにはたまにリアクションするけど、別にチェインとかはしない、くらいの距離感。そのストーリー更新だって、もう一年くらいされていなかった。だから、招待状が届いたときは心底びっくりした。 結婚式ではヒラ参加者、っていうか受付とかスピーチとかそういうのは任されなかったから、比較的気楽だった。あんなに高校生の頃親友だったのに、とは一瞬思ったけど、わたしだって彼女のことを忘れてたんだから文句を言う資格はない。そりゃ二次会とかでチャンスがあれば、じっくり美奈と話してみたいとは思ってるけど。招待状持った、ご祝儀持った、化粧ポーチ持った、と一通り持ち物を確認して、家を出ようとしたところで、ふと気付いた。イルミネちゃんのグッズとか持っていったら、彼女も懐かしい! って喜んでくれるんじゃない? めぐるちゃんを祀る祭壇は大学に上がるときに無くなったけど、多分二階の押し入れのどこかにしまってあるはずだし。そして今、わたしはドレスに埃がつかないように緊張しながら、ギリギリの時間で押し入れを漁っているというわけだ。 これで最後、と決めて取り出した衣装ケースは、これまでのものより明らかに重かった。これだ、と直感的にわかった。ふらつきながらケースを下ろし、若干黄色が透けて見える蓋を開けると、やっぱりそこには、めぐるちゃんのグッズがぎっしりと詰まっていた。大量の缶バッヂ、アクスタ、ペンラの間にぎっちりと円盤やパンフが挟まっている。祭壇を崩してそのまま埋めたようなケースの中身は、ちょっとした遺跡のように輝いていた。 改めて見てみると、どのグッズもいつ買ったかはっきりと思い出せた。これは高一の夏のツアーだから、インタビューが載ってる雑誌と一緒に買ったんだ。このシングルは確か、模試の帰りに美奈と一緒に買った。次々思い出が溢れてくるのがおかしくて、思わず鼻から笑い声が漏れてしまった。こういう思い出のひとつひとつを、美奈と語ってみたい。 「もう出るんじゃないのー!」 一階でお母さんが叫んだので時計を見ると、もう家を出るはずの時間になっていた。まあでも、次の電車でも間に合わないこともないはずだ。マップアプリでオススメ経路を確認すると、あと五分ほど余裕がある。 「今行くー!」と叫んで、軽くて嵩張らないグッズをいくつか見繕う作業に入った。
うぉ、と呻きながら目が覚めた。口が乾ききっていて、既に若干頭が痛い。絶対二日酔いだ。やっぱり、三次会のスパークリングワインは飲むべきじゃなかった。 ベッドの脇に目をやると、昨日放りだしたんだろうバッグの口から、黄色い缶バッヂが見えていた。数年前のもののはずなのに、透明な袋に入ったままだからか、新品のように綺麗に見える。実際、新品のまま保存用という名目でしまい込んでいたんだから、汚れるはずがないんだけど。 思った通り、美奈はめぐるちゃんのグッズを喜んでくれた。二次会で隙を見て美奈と二人きりになり、こっそりとバッグからバッヂを見せると、美奈はその日一番の声量で叫んでくれた。えーッ。これ、あれじゃん、周年のやつじゃん! いつだっけ、ほら、できたばっかのスタバで繋がんない公式サイト開きまくったさ。そうそう、それそれ。なっつかしーなー。このグッズのおかげで、直接話すのは数年ぶりだったはずなのに、一瞬で高校の頃のテンションに戻れた。めぐるちゃんには感謝しないといけない。 寝ぼけたままスマホを開くと、「八宮めぐる」でニュース検索をかけたブラウザが表示された。そういえば、と画面を見て思い出した。その会話の流れで、彼女の近況について調べたんだっけ。 めぐるちゃんは大学に入ってから一旦活動量を減らしたものの、卒業してからは舞台方面での仕事が増えて、最近は結構大きな劇場でも演じているようだった。トークショーなんかもあったりして、回によってはフォトブックのお渡し会なんかもやっているらしい。記事に添えられた写真を見て、えーめっちゃ大人っぽくなってる、なんて盛り上がったのは覚えているが、どうもその後飲みすぎたらしく記憶がない。お母さんには後で謝っておかないと。 それにしても、舞台ね、と画面をスクロールしながら思う。推してた頃も一応舞台の仕事はあったっぽいけど、当時はまだまだ配信もないし、彼女の演技をちゃんと見たことはほとんどなかったな。今なら見られるんだろうか、と思ってついでに調べてみると、ちょうど先月から彼女が出ている舞台の配信チケットが売られているページが見つかった。どうせ今日はどこへも行けないだろうと思っていたし、ちょうどいい。チケットを購入して、すぐに配信ページへ飛んだ。 舞台はいきなり始まった。無機質な白いステージの上で、白い衣装に身を包んだ大勢の人が口々に何かを叫んでいる。二日酔いで頭が回らないこともあり、全然聞き取れない。たぶんそれでいいんだと思う。思うことにした。だってこういうの見慣れてないし。そんなわたしを置いてけぼりにして、人々が騒ぎ、諍い、一通り叫ぶ。いい加減わけがわからなくなってきたところで、急に人々が捌けていった。 そして、目が覚めるような金髪の女性が、背筋を伸ばして舞台の中央まで歩み、呟いた。 「お姉ちゃん……?」 その瞬間、わたしはすべてを思い出した。あの頃、彼女を見るたびに抱いていた、瞳孔が開くような、胸の締めつけられるような思いを。眩しくて、それなのに目が離せなくなるような、墜落にも似た愛しさを。
「十二日の十五時からですね、問題ございません」 肩と頬で電話を挟みながら手帳を開くと、一ヶ月後の土曜に光る太陽のシールが目に入る。思わず頬が緩む。待ちに待った、初のお渡し会だ。 目が回るような二日酔いのなか、改めてめぐるちゃんと出会ったわたしは、彼女の出演したものの映像や、彼女が受けたインタビュー、ツイスタライブの録画に至るまで、過去の記録を時間の許すかぎり漁った。離れていた数年間を取り戻す、というよりは、新鮮にハマり直したという方が正しい。ここ数週間のわたしの生活リズムは、ほとんど夜更かしする学生と変わらなかった。それで仕事に支障が出ないかというと、当然出ている。気絶しそうになる日中にアポを入れまくることで、なんとか気を張って持ちこたえている。当然身体にはよくない。けど、推しに陥落するときに健康を気にするやつはいない。もう少しだけ走り続けることを許してほしい。 私用のスマホをちらっと見ると、美奈からメッセージが来ていた。わたしの希望通り、週末は駅前のイタリアンバルで飲むことになったらしい。「ありがとう」とあまり知らないキャラクターが笑っているスタンプを送り、スマホをカバンに放り込んだ。 結婚式の後、美奈に連絡した。本当はあの頃のように遊んでみたかったけど、まさか「駅下のマック集合で!」と言うわけにもいかず、打ちかけたメッセージは何度も消えて戻ってを繰り返した。大人になると、人を遊びに誘うのは難しい。学生の頃は相手のスケジュールが概ねわかっている気になれていたけれど、今はそれぞれの生活と事情があることを知ってしまっている。その生活と事情が想像できない場合は、特に声をかけづらい。 結局、結婚式の感謝に添えて、「まだまだ話足りないから飲もう」という内容をわたしたちの距離分引き伸ばしたメッセージを送った。返事はすぐに返ってきた。ただし、「日程は旦那と相談させて」とのことだった。確かにそうだよな、と思う。相手は新婚なんだから、予定も機嫌取りもいろいろあるだろう。突然の予定が入ったら、わたしとの飲みなんて真っ先にキャンセルされる対象だ。 でも、美奈はちゃんと来てくれた。週末、予定時間の十分前に到着すると、すぐに美奈が小走りで駆け寄ってきた。高校時代はお互い遅刻して、マックで意味もなくポテトなんかを頼んで待って、遅れて到着した方が謝りながらすっかり固くなったポテトを勝手につまむ、なんてことも多かったのに。わたしを見つけた途端、慌てて「ごめんね、待った? ありがとね」なんて言うことも昔はなかった。けど、それにハイテンションで「全然、全然!」なんて返すわたしもわたしだった。 二人ともビールを頼み、サラダや軽いおつまみも注文した。焼くのに時間がかかると言われたピザをあれこれ言いながら選び、一通り注文が済んでしまうと、一気に会話がぎこちなくなる。 「ゆかりんって、この前の結婚式いたでしょ?」 「ああ、澤田?」 「そうそう。あの子、来月結婚するらしいよ」 「えっ、そうなんだ、高校の時のあの背の高いヤツ?」 「ううん、大学の頃からの彼氏だって」 「あ、へえ、そっかあ。ていうか、美奈、あの子と仲良かったんだ」 「あ、うん、まあまあ」 そこでお互い水を飲み、次の話題を探す。ビールがとにかく待ち遠しかった。いつからわたし達は、アルコールに頼らないとロクに世間話もできなくなってしまったんだろう? ようやくビールが来たので、とりあえず乾杯した。勢いよくグラスを傾けると、心地よい苦みと炭酸の刺激でいくぶん舌が回るような気がしてくる。それでも、話題が見つからない限りはどうしようもない。料理の味について話そうとも思ったけど、やや表面が乾いたカプレーゼは、とりたてて何か言うこともない味だった。沈黙の中、わたしたちの箸が食器にぶつかる音だけがやけに大きく響く。やばい。何かないか。焦りながら視線を落とすと、スマホのケースにきらりと光るものがある。 勢い余って通販で買った、めぐるちゃんの新しいステッカーだった。 「そういえば」お酒で多少大胆になったのか、気付いたらスマホを持ち上げていた。「これ、何かわかる?」 「え、何? なんかバンドのやつ?」 「ブブー。これね」ブラウザで商品ページを見せる。「めぐるちゃんのグッズ」 「マジ!?」 予想以上の大声に顔を上げると、美奈は目を輝かせてブラウザの画面を見つめていた。先ほどまで緊張に引き締まっていた口元がほころんでいる。また、めぐるちゃんに感謝しないといけないことが増えた。 「またハマってるってこと? あれから?」 「そそ、最近めっちゃ舞台の配信とか見ててさあ」 「なるほど、いい時代になってんなー」 「いやホントね」 そこからの会話は、途切れることなく進んだ。めぐるちゃんの変化と成長について。めぐるちゃんを始めとする、イルミネの近況について。そして、わたしたちの近況について。 三次会のときはほとんど聞けなかった彼女の高校以降の生活についても、詳しい話が聞けた。まだわたしと頻繁に連絡を取っていたころの美奈はサークルの話ばかりしていたけど、先輩と揉めたことで一年の終わりごろに辞め、その後はバイトに入り浸っていたらしい。卒業と同時にバイトは辞めたけど、そこの先輩たちとの付き合いは続き、その中のひとりと結婚することになったとか。それを聞いて、結婚式のときにやたら盛り上がっていた前方の集団はバイトの先輩たちだったんだろうな、と気付いた。 「全然知らなかった」 わたしは呟いた。 「美奈のことなら、なんでも知ってると思ってたのに」 そう言うと美奈は、運ばれてきたピザを雑に切りながら笑った。「え、何、元カノなの私?」 「えーっ、違うけどさあ」違うけど?「なんか、高校の頃はそう思ってたなーって」 「元カノって?」 「いやそっちじゃないし」 笑いながらスマホを傾けると、めぐるちゃんのステッカーが橙色の照明を受けて光った。まるでよく晴れた夕方の太陽のようだと思った。太陽。太陽のシール。 「そういえばさ、来月さ、めぐるちゃんのお渡し会あるんだけど」 「えーいいじゃん、そういうのあるんだ」 「もし空いてたら、一緒に行かない?」 美奈は一瞬面食らったようにまばたきした後、皿に視線を落として微笑んだ。 「いいね、帰ったら旦那に確認するね」 「ありがと、めぐるちゃんのオススメの動画とか送るからさ」 「ええ、私ハマれるかなあ」 「ハマれるって、絶対」 せっかく盛り上がったままイタリアンバルを出たが、美奈はあまり遅くまで家を空けるわけにはいかないらしい。仕方がないので、二次会には行かず解散した。今度は帰り道もしっかりした足取りで帰れた。カバンを放りだしたまま、ベッドに倒れ込むようなこともなかった。鼻歌で「Shower of light」を歌いながらシャワーを浴び、頭にタオルを巻いていると、美奈からのチェインの通知が来た。 お渡し会の日は、どうしても都合がつかないとのことだった。「ごめん」と謝るあまり可愛くないキャラクターのスタンプが、有無を言わさず添えられていた。
お渡し会の会場はすぐにわかった。黄色いグッズを持った人についていけばよかったから。 会場に入ると、チケットや荷物確認の手続きの後、小さなブースへと続く列に案内された。舞台で活躍し始めてからさらによく通るようになった声が、ブースの中から聞こえてくる。それだけで、あまりの現実感に気が遠くなるような気がしてしまう。めぐるちゃんがいるんだ。この列の先に。 わたしが高校生だったころより、列が少し伸びているような気がした。年齢層が活動歴相応に高くなっているせいか、並んでいるファンにもどこか落ち着きがある。昔より女性比率が増えているせいもあるかもしれない。めぐるちゃんは昔と同じでしっかりと話す時間を取ってくれるため、列の進みは遅かったが、それでもみんな落ち着いていた。 わたしも落ち着いて見えるように大人しく並んでいたが、頭の中はずっと「何を話そう」という考えが止まることなく回り続けていた。この日のためにずっと考え続け、何度も「これでいこう」と決めたはずなのに、まだイチから考えてしまう。高校生の頃ファンで、最近また好きになったとか、何度も大事だった友達と繋げてくれてありがとうとか、個人的なことだけでも話したい内容はいくらでもある。けれど、こんなことを話してめぐるちゃんは困ってしまうだろうな、とか、他に少しでも喜ばせられるような話題はないか、とかいろいろ考えてしまって、また話題探しに逆戻りだ。 前の人がブースの中へ消えて、いよいよ次はわたしの番だ。こうなると、もう何も考えられない。スタッフさんが、わたしに合図を出す。それを受けて、事前に準備したものも全て吹き飛んだまま、彼女の待つブースへと入った。 彼女はなんていうか、映像で見るよりもずっと、綺麗になっていた。高校生のときも「綺麗だ」と思うことはあった。でも、それは瞬間瞬間のことで、どちらかというと弾けるような明るさが勝っていた気がする。でも、今はなんだか、常に綺麗だった。 呆けているわたしに、「こんにちは!」と彼女が言った。そこで初めて、このブースには自分と彼女の二人しかおらず、彼女はわたしに話しかけているということを思い出した。「こんにちは」と震える声で言った。 「えっと、もし違ったらごめんなんだけど」 彼女はわたしを下から覗き込むようにして、何かを確認しているようだった。 「もしかして、けっこう前に来てくれたことがある?」 わたしの喉から、締められたような素っ頓狂な声が出た。それを必死に飲み込みながら、なんとか返事を返す。 「はい」 「やっぱり!」 彼女は笑った。舞台ではなかなか見ることのできなかった屈託のない笑顔だった。めぐるちゃんの笑顔だ。やっぱりめぐるちゃんだ。そう思った瞬間、急にまつ毛の先がじんわりと熱くなった。 「えっ、大丈夫!?」 めぐるちゃんが心配してくれて、それが嬉しいやら申し訳ないやらで、ますます涙が溢れてきた。止めようと思って勢い任せにハンカチで拭ったら、べったりとマスカラがついてしまった。最悪だ。もう顔を上げられない。せっかくめぐるちゃんが、あのめぐるちゃんが目の前にいるのに。 すると、不意に高校のことを思い出した。三年に上がって、最初の模試の前のことだった。イルミネちゃんが全国ツアーを発表して、わたしたちも当然チケットを取ろうとしたんだけど、唯一行ける会場での日程が思いっきり模試に被ってしまったんだった。いつものマックの、窓際のテーブルで、ツアーの公式ページとスケジュール帳を見比べ、固まったのを覚えている。夕日が窓から差し込んで、ルーズリーフの塗装が剥げた金具にちらちらと反射していた。そのとき、真っ先に頭をかすめたのは、これで終わりか、という諦めだった。なんとなくわかってしまった。このままわたしは、受験にいっぱいいっぱいになって、イルミネのチケットを取らなくなっていくんだろう、って。そうしたら、一気に体温が下がったみたいだった。たぶんそれは美奈も同じだった。なんでこの日なの、ツアーなのに、ファイナルなんだよ、とぎゃあぎゃあ言いながら、二人ともどこか醒めていた。 そのひとつの終わりの風景が、突然頭の中を駆け抜けていった。 なんで? なんで今? 思わずわたしは、震える唇を開いていた。 「めぐるちゃんは」 「うん」 「めぐるちゃんは、一度手放したものが、もう一度大事になっても大丈夫?」 「一度手放したもの?」 「終わっちゃうことを知ってて、始まらないことを知ってて、それでもいいと思う?」 言葉は全然まとまらなかった。息がうまく吸えず、途切れ途切れになった。声も震えて聞き取りづらかっただろう。きっと困らせてしまっている。謝ろうと思って慌てて大きく息を吸い込んだところで、彼女はただ、黙って頷いた。そして、俯いたままのわたしを見つめながら、ゆっくりと口を開いた。 「えっとね」 彼女はわたしを宥めるようで、それでいてどこかへ語りかけるようだった。 「わたしは、っていう話になっちゃうけど、いいと思う。大事になったものには、大事だよーって、伝えたくなっちゃうと思う」 「それは、なんで?」 わたしが訊くと、彼女はただ、あの眩しい笑顔で言った。 「好きだから!」 その笑顔を見て、わたしはああ、と思った。めぐるちゃんだ。これがめぐるちゃんだよな。そうだよな。 わたしは笑った。きっとひどい顔だったと思うけど、それでも良かった。 めぐるちゃんが笑ってくれたから。 好きだから。