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ほどよい制約

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花初そたい
花初そたい

雑記

低気圧

起きたときから頭が痛く、身体も重い。ベッドを出てみると外は雨模様。どうやら低気圧だったようだ。 昔は気圧で体調が悪くなるということはなかったような気がするけど、最近はけっこう顕著。Twitterを見ているとみんな「気圧で頭が……」みたいなことを言っている気がするので、それに乗せられて痛くなったような気になっているのかとも思ったが、今日はTwitterを見る前から痛かった。最近は耳もやられてるし、頭も痛いし、肩もまだ痛みそうな感じだし、急に身体にガタが来た感じがある。歳ですか?もしかして。

よかったもの

ゲルハルト・リヒター展

東京国立近代美術館で開かれている個展。評判がよかったので行ってみたが、決してとっつきやすいアーティストではないはずなのに結構人がたくさんいた。よく見ると、みんなパシパシ写真を取っているっぽい。なるほど、撮影OKだから話題をよく見たという面もあるのな…… リヒターといえばなんとなく抽象絵画のイメージを持っていたものの、国立西洋美術館でやっている展覧会には思いっきり具象の雲の絵が出ているし、どういう人なんだろう、という程度の状態で見始めたけれど、この展覧会自体がそういったリヒター作品の多様さを「見る」という行為への疑問を軸に繋げているような感じで、かなりわかった気になれた。中でも色と鏡のモチーフ――世界を色彩の中で別様に転じさせることを目論むものらしい――はぎょっとする感じ。目玉の大作「ビルケナウ」の展示方法も凝っていて、まさにその作品を見に行くことによるインタラクションな体験があった。 とはいえ、そういった趣向を理解したのは音声ガイドのおかげ。一周目は普通に見て回って、終わったら音声ガイドを借りて二周目へ、という見方をしたけど、これはなかなか良かった。パッと見で作品の狙いがわかるほどアート力(ぢから)が高いわけでもないし、かといって最初から作者の狙いや一般的な解釈を知った状態で見てしまうのももったいない気がするので…… 一人で時間に余裕がある時は今後もやってみたい。

岡田美智男『〈弱いロボット〉の思考 わたし・身体・コミュニケーション』

読み終わった。いわゆる「弱いロボット」の開発における考え方を通して、人の世界との関わり方を考察するような内容。 先日の李禹煥展の感想にもちらっと書いたが、「生物は自己で完結するようなシステムではなく、世界との関係の中に生きている」というのがメインのテーゼ。歩く時には地面からの跳ね返りを期待していて、一歩一歩どの瞬間で静止しても倒れないようバランスを取っているわけではないし、会話をするときは一文を頭の中で作り上げるのではなく思いついた部分から出力していくこと・それに対して反応することで複数人で会話を作り上げている。それと同様に、ロボットも外からの反応に身を任せたほうがいい――例えばル○バが最初から部屋の詳細なマップを作り上げて最短経路で掃除するのではなく、行き当たりばったりに見える走行を繰り返すように。また、その関係の中に身を任せる挙動は、人間とロボットのコミュニケーションにおいても鍵になるのではないか……と、そういった内容で話が進む。例えも平易でわかりやすいし、話が行ったり来たりするわりには主張はかなり明快で、面白い一冊だった。 終盤の関係の種類に関する話がよかった。

一人で居るととても自由でいいのだけれど、その抱えきれない可能性に疲れることもある。なにをしていてもいいのだけれど、それを一つに絞りきれない……。こうしたときには、ほどよく制約しあう相手が必要なのだろう。一緒に居るというのは、お互いのなかで膨らんだ自由度を減じあう作業でもある。

なるほどね……