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大人と選択

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花初そたい
花初そたい

雑記

オープンワールド

ひたすらポケモン。ついに残すは四天王たちのみとなってしまい、旅が終わりに近づいてきた。寂しいので手を出さずに、まだ行ってない(通った当時はコライドンの能力の問題で行けなかった)ところを走り回っている。そこにはだいたいわざマシンが落ちている。

旅パ_fix

紆余曲折の末、ついに最終メンバーが決定した。

・ホゲータ最終進化 ・タイカイデン ・エクスレッグ ・デカヌチャン ・イダイナキバ ・セグレイブ

いかつい。終盤はデカヌチャンが対ドラゴンに対フェアリーに対かくとうに大活躍してくれた。見た目もゆめかわっぽくていい。セグレイブは進化したばかりなのでまだあまり活躍できていない。が、どう見ても600族の佇まいをしているのでたぶん強いと思う。タイカイデンのおいかぜボルチェンから出したら暴れてくれないだろうか。

大人と子供

最初はダルいと思っていたアカデミー周りのシナリオが、予想以上に良かった。スター団の栄光と悲劇っぷりもかなり好きだし、ポピーくんの顛末には思わずホロリと来てしまったし、ジムリーダー達も個性的で楽しかった。ネモさんはかなりヒソカだった。以下、若干ネタバレ。

今作では「何をするのも自由」というオープンワールドの強みがそのまま学園のイベント「宝探し」のコンセプトにもなっているのだが、その構造もあってか「選択」を意識させられるイベントが多い気がする。特に、先生たちのイベントではそれを強く感じる。ハッサク先生は自ら学園に残ることを選び、タイム先生はジムリーダーを辞めた選択を振り返り、キハダ先生は料理をやめることを選択し、ミモザ先生は養護教諭免許取得へ再挑戦することを決めたように。 この「選択」という要素を踏まえてメインの3ルートを見てみると、こちらも自由な宝探しの中で各自やることを決めているわけで、たしかに選択はなされている。けれど、ネモもペパーもボタンも(そしてスター団の面々も)、やると決めたことを実行しているだけで、選択のなかにいる印象は受けない。 この「子供たちは既に選択したことに没頭し、大人たちは選択を迫られる」という状態は意識的に描かれている気がする。子供は一度これと決めるまでが早く、しかもそれに没頭し続けられる。しかし、その選択と実行を繰り返していくうちに、選択の責任は自分で取らなければならないということに気付く(今のスター団はその段階なのではないか)。そして、大人になればなるほど、自分の選択と責任に向き合うことになる……と、こういう構造が読み取れるんじゃなかろうか。 こう書くと大人にとっての選択はただ重いもののように見えてしまうが、そうではないのが今回のいいところだと思う。特に良いのはキハダ先生のシナリオで、キハダ先生は一度始めた料理を、「目的を達成し、自分に向いていないとわかったから」といとも簡単にやめてしまう。この身軽さはもちろん現状を変えるのを怖がっていたミモザ先生の対になるものでもあるし(この2人の関係、いいよね……)、これしかない、今更学校には戻れないという思いでマジボスの帰還を待ち続けるスター団の対になるものでもあるんじゃないだろうか。キハダ先生は継続のリスクも知っているから、一度選択したことを撤回することもできるのだ。これも責任に対する一つの向き合い方じゃないだろうか。挑戦をやめてもいい、という点では、パルデアの全域にいる大人の学生……今からの再学習に挑戦することを選択した大人たちと対になるものでもある。 結局、俺たちは、すぐに積み上げてきたものの重さに埋もれて動けなくなりがちだけど、てめえがてめえの選択の責任を取れる限り、何を始めても、何をやめてもいいんだよなあ。たとえ、たとえもし、明日世界が終わるんだとしても、俺たちはリンゴの木を植えるんだっつってんの。