年末進行(Cマイナーキー)
雑記
炎上等
仕事が炎上を始め、年内は週休1日制になった(!)。今日も8時半~24時で勤務。ポケモンやりて~……
祖母
祖母が横浜旅行に来ていたので会食した。パラセーリングの話をするときに「落下傘」と言うのはまだしも、ハーフのタレントの話をするときに「ほら、あの子誰やったっけ、あの合いの子よ」と言うので思わず笑ってしまった。合いの子て。コンプラとか以前に、そもそも語彙が自分のそれと全然違うことにビックリした。
ライブシーン2
ぼっち・ざ・ろっく!8話を見た。半月ほど前に「ライブシーンがいまいち……」と書いたが、今回は完全に見入ってしまった! アニメのライブシーンでこんなに息を呑んだのは初めてかも。
モノローグとかが入ると気持ちが切れちゃうからだろうか? 音源があまりにスタジオテイクだからだろうか? 自分のツボがどこなのか、いまいちわかっていない。
以前はこう書いたが、確かに今回はモノローグもなかったし、スタジオテイク感もなかった。それに、ギターの即興から曲に入る、というライブ特有の構造がハマっていた気もする。何回か見直したい、いいライブシーンだった。
よかったもの
村上春樹『意味がなければスイングはない』
1/3くらい読んだ。村上春樹、やはり文章がうまい……(今更すぎる) 長編はいまいち乗れないので、短編やエッセイを読もうと思ったけれど正解っぽい。時々異様にクサいのも好み。
思うのだけれど、クラシック音楽を聴く喜びのひとつは、自分なりのいくつかの名曲を持ち、自分なりの何人かの名演奏家を持つことにあるのではないだろうか。それは場合によっては、世間の評価とは合致しないかもしれない。でもそのような「自分だけの引き出し」を持つことによって、その人の音楽世界は独自の広がりを持ち、深みを持つようになっていくはずだ。 (中略) そしてそのような個人的体験は、それなりに貴重な温かい記憶となって、僕の心の中に残っている。あなたの心の中にも、それに類したものは少なからずあるはずだ。僕らは結局のところ、血肉ある個人的記憶を燃料として、世界を生きている。もし記憶のぬくもりというものがなかったとしたら、太陽系第三惑星上における我々の人生はおそらく、耐え難いまでに寒々しいものになっているはずだ。だからこそおそらく僕らは恋をするのだし、ときとして、まるで恋をするように音楽を聴くのだ。
剛腕すぎる。