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六月の詩

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花初そたい
花初そたい

雑記

選んだ詩

月のはじめにも書いたが、詩集を読むDiscordチャンネルに入れていただいた。月に一冊詩集を読み、そこから気に入った詩を2作品選ぶことを1年続けることで、計24作品からなる私撰集を作るのが目標。 今月は小池昌代『通勤電車でよむ詩集』から2作品を撰んだので、それらの詩について考えたことをメモしていく。

  • 豊原清明「緑」

一行ごとの力強さと、ほかの行への飛躍が心地良い詩。特に後半の二連はそれぞれ一文からなっており、ソリッドな迫力がより際立って見える。「革命」「発狂」「地獄」など、使われている単語もエネルギーに満ちた印象。 全体を見たときに明確な意味が伝わるかというと、そんなことはないように見えるのだけど、そのぶん短い一文にぎょっとさせられ、立ち止まらずにはいられない。評の言葉を借りれば、「言葉はいまだ荒々しい自然状態にある」。ここでイメージされるのはホッブズ的な自然状態。言葉どうしがぶつかりあい、暴れ回っていて、統制下におかれることがない。けれど、その収まらないエネルギーに惹きつけられてしまう。 思えば、ぼくの好きな音楽の歌詞も、そういう系統のものが多いかもしれない。THEE MICHELLE GUN ELEPHANTとか、People in the Boxとか。スムーズに一読できる統制よりも、一文一文がフックになるものが好みなのかも。

暗がりでセビレしびれたいなら イナズマを呼んできて欲しいと言え じめる うなだれ つまさきで ひとめ見たならあとはトぶだけ (THEE MICHELLE GUN ELEPHANT「バードメン」)

一応読解を試みると、気になるのは最後の連の「僕は色々な旗を持っています」。旗というのはなんらかのメッセージを視覚的に伝えるもので、主に共同体や思想を示すのに用いられるものだから、「色々な旗を持っている」というのは様々な共同体や思想への帰属を(無意識的に)表明している、ということかもしれない。その「旗を持っている」ことと「やがて革命が起こるだろう」という文がつながる。すると、誰もが無意識に様々な「旗」を持たされていて、それぞれが緊張に満ちた関係にある現在を「冷たい地獄のこの暑さよ」と評していると読めるのではないか…… けれど、この詩に関しては、そういった半ば自分の内に潜っていくような読解よりも、むきだしのイメージを味わいたい。

  • エドワード・トマス作、沢崎順之助訳「アドルストロップ」

とある駅の情景。主体はこの駅に降りたわけでもないし、気にしたこともなかったのだろう。けれど、名前を聞いた瞬間思い出した。そういう、記憶の底に埋まっていた鮮やかな瞬間が描かれている。 こういった「降りたわけでもないが、名前を聞くと思い出す田舎の駅」というのは個人的にも覚えがあり、そのなんともいえない静けさとのどかさを思い出した。その「忘れてしまっていたような美しさ」に惹かれる。 最後の連の「オックスフォード州、グロスター州のすべての小鳥が鳴いていた。」というくだりは、草野心平の富士山を思い出す。静かな光景の背後に鳴り響く無限の残響。「閑さや岩にしみ入る蝉の声」あたりもそうなのかもしれない。

ぐるりいちめん花はさき ぐるりいちめん蝶は舞ひ 昔からの楽器のすべては鳴り出すのだ 種蒔きのように鳥はあつまり 日本のすべての鳥はあつまり 楽器といっしょに歌っている 夢みるわたくしの 富士の祭典 (草野心平「富士山 作品第壱」)

つくったもの

カサゴ(アラカブ)の味噌汁、カサゴの刺身。 味噌汁はおいしかったが、身が崩れて骨が散らばってしまい、食べるのに難儀した。あんまり煮てはいけないのかもしれない。ダシが取りたいのに…… 味はおいしかった。 刺身は苦労して切り出したものの、可食部はほんの少しだった。刺身って大変なんだなあ。カサゴに関してはもう二度とやらないと思う。超デカいやつが釣れない限り。