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何もしない日

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花初そたい
花初そたい

雑記

何もしない

久々に何もしない一日だった。ジムにも行っていない。朝食をとった後は今月中に読みたかった詩集を読み、ニジマスの昆布締めと余った昆布の佃煮で飲酒し、YouTubeで「ルール無用JCJCタイムアタック」の動画をダラダラ見、夕食を作り…… こう見ると「何もしない」ってことはないか。

最低保障

「何もしてない」と「ちゃんとやった」の境界となることは何かしらあるはずで、今のぼくにとってはジムに行くことが最低限の「何かした」を保障する行動になる。今までは「今日は何もしていないな」と思ったらとりあえずその最低限の満足感を得られる行動を取りに行っていたけど、日記を書くなどして丁寧に一日を振り返ってみたら、本当に「何もしてない」と思う一日は案外少ないのかもしれない。それはそれとしてジムには行った方がいい。

つくったもの

朝食は豆腐入りパンケーキ。豆腐が入るとふわふわ・もっちりとした食感になる……という触れ込みに惹かれて作ってみたところ、確かにもっちりとした食感にはなったけれど、めちゃくちゃ豆腐の味がしてウケてしまった。まずくはない。 夕食はミャンマー風ポークカレー。青唐辛子が余っていたので作ってみた。ぼんやりと作り始めたので、実際に投入する段になって玉ねぎと油の量に驚いた。どこかの駅で開かれていた物産展で買った青唐辛子はみずみずしく、ししとうにも似たツヤがあったので、「本当に辛いのか?」と思って試しに齧ってみたら大変な目に遭った。カプサイシンは脂溶性なので、辛くて耐えきれないときは水より牛乳を飲むのがよい。

よかったもの

小野寺拓也, 田野大輔『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』

読み始めた。「ナチスは良いこともした」と言われることがあるけれど、それは本当か? ということを検証しつつ歴史学の考え方にも触れる本。ナチスの美点を探すのは『「逆張り」の研究』で触れられていた逆張りの手法のひとつ、「相対化」の一例として捉えられるので、その流れで「読むなら今だな」と思ったので勢いで買った。 冒頭から既にかなり面白い。特に、歴史を語る上では<事実><解釈><意見>という三層構造を意識することが大切だという話が良かった。<事実>を確認した後には、それを当時の文脈や他の事実との関係から位置づける<解釈>が行われるはず。そこには歴史学の先人たちの積み重ねがある。その位置づけを踏まえた上で、自身の立場を踏まえた<意見>が打ち出されることになる。だが、歴史が語られるときには、往々にして<事実>と<意見>が直結してしまう。 例えば、ナチスの出産支援政策は充実したものだった。それは事実である。だが、それを享受したのは遺伝的に問題のないことが証明されたある民族だけで、さらにその出産支援は民族を挙げての戦争と結びついていた。そこから外れた人々は、虐殺されたり私財を没収されたり断種されたりしていたのだった。そういう背景を抜きにして、特定の政策の一面だけを見て「ナチスの出産支援政策は今の日本より優れていた」と言ってしまうのはどうなのか……という話だ。これだけでも、SNS時代における歴史学の重要性が納得される気がする。

西沢杏子『虫や草やあなたやわたしやむしゃくしゃや―西沢杏子詩集』

今月の詩集。平易な表現ながら、時折覗く陰鬱な空想や陰鬱な空想をさせられる表現にハッとする。買うときには「凄いタイトルだな」と思ったけれど、読み終わってみると印象はかなりタイトル通りかもしれない。選んだのは以下の2作品。

  • ひとりんりん ひとりでいるときに「ひとりんりん」と鈴の音が聞こえる、という情景がかわいらしく小気味良い。そして、その鈴の音がふたりでいるときの「がしゃがしゃ」「むしゃくしゃ」と対比されるのがまたいい。複数人で過ごすときは確かに賑やかかもしれないが、その時に鳴っている音――自分の外でも、中でも――はぶつかり合う、居心地の悪い音だった。しかしそこから解放されて自由になった今、鳴るのは鈴の音なのだ。なんとなく、「のんしゃらん」という言葉の響きを思い出す。

  • 樹上のライブ 詩集のなかでも珍しい、ストレートで爽やかな少年詩。心のなかのわだかまりが自然に圧倒されることによって解消へ向かうのだけど、その描写がいい。

なんという圧倒! 彼らは互いの声を足場にして 空の高みまでのぼっていくのだ!

「樹上」というワードから蝉か何かを想像していたけど、青松虫だったのは意外。ただ、そちらのほうが「互いの声を足場にして空の高みまでのぼっていく」ことの凄まじさが増す気がする。 その自然の描写のあとに来る、少年の内省がますますいい。

たしかに ぼくは いまでもあいつにいったことが まちがいだとは思っていない

けれど 何日もたったあとでは ぼくがいったことが 事実だったということよりも あいつが傷ついたことの方が残りはしないか

スマートな言語化だ。ここから少年が駆け出して終わる爽やかさも含めて好き。