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チバユウスケ

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花初そたい
花初そたい

 チバユウスケが死んだらしい。  らしい、というのは、まだ全然実感が湧いていないからだ。当たり前かもしれない。文面を見ただけで、何か決定的な証拠を見たわけでもないのだし。けれど、ずっと心のどこかで、「チバユウスケは死なない」と思っていたことが何より大きい。  チバユウスケは、(フォロワーも同じようなことを書いていたが)フジファブリックの志村も、アベフトシも、ブッチャーズの吉村も、好きになった時にはすでに亡かったぼくにとって、向井秀徳と並んで特別な「生きている」ロックスターだった。TSUTAYAで借りた『ギヤ・ブルーズ』の一曲目、「ウエスト・キャバレー・ドライブ」の絶叫に頭を吹き飛ばされ、その後漁った「ドロップ」のライブ動画を見て硬直し、ラストライブの「世界の終わり」を聴いて泣き…… そういう生活を送っていた大学一、二回生のころ、「チバユウスケがまだ生きていて、バンドをやっている」ということはずいぶん大きな希望になっていたと同時に、どこか伝説の世界に生きているような気分を与えてくれていたように思う。  なので、「チバユウスケが、The Birthdayが来る」という情報を聞いたときは、かなり混乱してしまった。何しろ、その当時ぼくはまだ田舎から出てきたばかりで、一度もライブというものに行ったことがなかったのだった。それなのに、いきなり憧れのロックスターに対面する機会が来てしまった。作法もわからないし、The Birthdayは正直全然聴いてない。そもそもライブに行ったことがないので、ロックバンドというものの存在すらも信じられていない。でも、確かにチバユウスケが来る! 結局、恐る恐るチケットを買い、耳鳴りがするような音のデカさに驚きながら、こわごわ会場に入った。でも、全然心配することはなかった。すぐに「涙がこぼれそう」のサビに合わせて拳を突き上げて飛び跳ねていた。それから、ぼくはロックバンドのライブに行くようになった。この時のチケットは、今でもお守りのように持っている。  チバユウスケは、スターだった。晩年(晩年て???)は急に老け込んだし、配信映像などで俗っぽい姿を散々見せていたし、先述のライブのときも「食堂のトイレでふと見たら隣がチバユウスケだった」という体験談が語られていたりしたし、確かな人間味があったはず。それでも、スターであることに変わりはなかった。どれだけ滅茶苦茶なエピソードの後にも、マイクの前で口を開けば、すぐにあの誰にも代えがたい、人間一人の持てるありったけの慟哭を一瞬に詰め込んだような歌声が聴こえてくる。そこに自分と同じ限りある生を感じるほうが無理な話ではなかったか? 4月に食道がんの報告を受けたときも、どこかで「チバユウスケが死ぬことはない」と思い込み、すぐに忘れてしまっていた。けれど、確かに、チバユウスケは死んだらしい。  正直、死んだからといってどうなるわけでもない。最近はThe Birthdayのライブにも行っていなかったし、新曲が出ても一回聴いて終わりになることも多かった。けれど、チバユウスケがいない世界を生きていく、というのは、とてつもないことのように感じる。訃報を見てから、ずっとその重さがのしかかっているような気がするし、爆音でチバユウスケの歌声を聴くと思わず涙が出てくる。涙がこぼれそう、どころか、普通にボロボロ涙を流しながらウゥ~と嗚咽を漏らしてしまう。泣いてはいるが、その意味もよくわかっていない。  まだ、「RIP」とか、「ご冥福をお祈りします」とか、「ありがとうございました」とか、「天国でも云々」とか、そういう言葉で送り出せる状態にない。ただ、チバユウスケのいない世界を生きている、という、ぼんやりとした認識だけがある。それを忘れ去ったとき、初めてチバユウスケという個人の死について、何か思いを致せるのかもしれない。