今なら水着アイドルもらえる!
雑記
主体性
アイドルについての本を読んでいる。アイドルのグラビアについて、「問題なのは性暴力であって性的に消費する視線ではないし、本人が主体性を持って性的な写真等を撮影されたのであれば問題ないが、その主体性を定義することは難しい」という話があり、そうですねと思った。シャニソンのコミケ広告を見てウーンと思ったのは八宮めぐるさんが主体性をもってあの広告を撮影するとは思えなかったからだが、じゃあ本人が撮影したいと言ったらそれを許していいのか、という問題もある。 まだほとんど学校以外のコミュニティを知らない16歳が、引退後に目の前で水着の写真を検索されて本人と見比べられるというようなリスクを想像できるだろうか? 児玉雨子『###NAME###』にあったように、「子供に悪い影響があるかもしれないから」と教育関係の職に就くことを拒否されるリスクを想像できるだろうか? 事務所の全員が水着の撮影をしている中、「じゃあ君もそろそろ次は水着いってみるか」と言われて断れるだろうか? そういう将来的なリスクやキャリアプランまで考えて仕事を受ける、というのも贅沢な話なのかもしれないが(それこそジムシャニで扱われたように)、ともかくアイドルのプロデュースというのは相手の将来を一部引き受けることでもあるよなと改めて思った。
つくったもの
まいたけのきんぴら。うまい。
よかったもの
日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション
一人のコレクションから日本の現代美術の重要作品を総覧する……という展覧会なのだけど、とにかく分量がすごい!!!!!! 一作家につき1~3作品で、作家全員にそれなりの長さの解説がついているので、文章量もすごい。相当サクサク回っても2時間はかかった。気になった作品をじっくり見ていたら3時間は普通に超えそう。体力勝負だ。 出品作家のラインナップを見ても分かる通り、草間彌生のような90年代の重要作家から現代のストリートアーティストまで収蔵作品は広範囲にわたる。そのアンテナの強さもすごいし、そのコレクションを可能にする財力もすごい。なんだか、コレクターとは行き着けばひとつのインフラのような力を持つのだと思い知らされた気分。
『アイドルについて葛藤しながら考えてみた ジェンダー/パーソナリティ/〈推し〉』
半分くらい読んだ。タイトルと目次から分かる通り、ひとつの疑問を突き詰めて考えるというよりは雑多なひっかかりやそれに関する思索を書き留めたような本なのだけど、二次元のアイドルしかろくに知らない身からすると「なるほど」となるような観点が多くて面白い。
- アイドルのオフとオンの区別がないような活動は、人格の承認にも繋がっている。一方で、ファンから定型的な「キャラクター」として消費される危険も孕んでいる
- 韓国の一部アイドルは自立した強い女性のイメージを打ち出しているが、一方で活動方針は主に男性のプロデューサーに決定されることが多く、またフェミニズム的な思想の発信に対する風当たりも日本より強い(Red Velvetのメンバーは『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んだことを報告したためにバッシングを受けた)。韓国の男女差別に関する議論は(男性のみに課される兵役の存在もあり)日本より過激化しており、韓国アイドルの振る舞いを日本のアイドルと同じように解釈することには注意が必要だ
- アイドルファンが異性愛者であることを前提とされる(同性ファンには「なぜ同性なのにファンなのか」という推測がついて回るし、異性ファンには確認なしに疑似恋愛の図式が当てはめられる)のと同様に、アイドル自身も異性愛者であることを前提とした目線にさらされている。アイドルのジェンダーやセクシュアリティに関しては外見から自動的に決定され、その受容は本人のコントロール下にない(e.g. 二丁目の魁カミングアウト 白鳥白鳥脱退声明)