とにかく日記を書く
雑記
デリー
銀座のデリーというカレー屋に行った。かなり昔からある店で、かなり辛いというカシミールカレーが有名。 実際カシミールカレーを食べると、そこまで言うほど辛くはないし、どこか親しみやすい風味があっておいしい。何で作っているんだろう?と思いながら再現レシピを探してみたら、デリーの人が過去にレシピを紹介していた。 リンクが切れていたので頑張って野良の魚拓を探したところ、どうも醤油とケチャップが入るとか。親しみやすさの正体はこれか。 しかしスパイスがえげつないので全然和風っぽさはない。いろいろな工夫があるもんだな~。
日記の話
先日、久々に会った友達から「ブログというか日記をつけようと思ったことは何度もあるが、毎回数日で挫折してしまう」「毎回思ったことや考えたことを出力するのがしんどく、かといってそうでもしないと日々何かあるわけでもないし、何かあっても大抵はネットに公開できることではない」という話を聞いた。確かに。 そのときは「ちょっとでも書けることを書いたらいいし、とりあえず習慣づけるところから始めるとよいのでは」というような曖昧な受け答えをした気がするが、そういえば福尾匠氏が面白いことを言っていたなと後から思い出した。
「書くべきのことの少なさ」こそが、新しい表現、新しい思考を呼び込むということです。 (中略) それに対して、日記を書くということは、毎日締め切りが来る原稿を抱えているようなものであり、恒常的な「ネタ切れ」の状況にあると言えます。私はこれを「イベントレスネス」という概念で呼んでいるのですが、この効用のひとつは、言うべきことの外で他者と出会う可能性を開くことにあります。
「研究内容およびその社会へのインパクトの説明」、あるいはなぜ私は日記を書くか
「とにかく何か書かないといけない」という状態で文章を出力することで得られるものがあるし、お互いそれに興味を持つコミュニティを形成する可能性もあるという話。実際、漏れも即売会に行ったら「日記読んでます」と言われて驚いたことが何度かある。 ということで、やっぱりアドバイスは「とりあえず習慣づけるとよい」ということになりそう。とはいえ、漏れはもう何もなかった日や時間のない日には日記を書いていないので、イベントレスネスの効用とは遠いところにいる気がせんでもないが。
つくったもの
特になし。
よかったもの
野崎まど『know』
7年くらい積んでいたんじゃないか。4割くらい読んだ。 まだほぼ何も起こっていない、ようやく起こり始めたところなのに主人公の思考・地の文が良いのですでに楽しい。「自分の才能を理解している秀才の若者」という嫌らしいキャラながら子供っぽい憧れで駆動しているのが好き。これって結構サリンジャーかもしれん。そうか? 思いがけず京都の話だったので嬉しい。なんかみんな通りの名前みたいなキャラ名だし。