知らないところ
雑記
イントロ
合同誌の原稿を書いている。とりあえずイントロ部分が終わり、1500字くらい。全然手癖と違う文体を選んでしまったので進みが遅すぎる。しかもここからの筋はほぼ何も考えていない。本当に終わるのか? 終わらせるしかないんだけど。
腹痛
昼頃から腹痛に苦しんだ。急に寒くなったせいなのか、昼に食べた作り置きがよくなかったのか判然としない。寒いのはやっぱり嫌だな~。週末にかけてまたやや暑くなるらしいので、そこが最後の希望だ。
反映論
noteシャニマス感想コンテストの受賞作を全部読んだ。いろいろな角度からシャニマスを扱った記事が並んでいて面白いし、高山Pのコメントも良い。特に大賞のコメントは面白かった。
アイドル衣装はともかくとして、私服、特に日常で着用するような衣服については、その人個人の趣味趣向やライフスタイルが色濃く出ると思っています。 この色やこのシルエットは苦手。Tシャツ1枚に許せる価格帯はいくら。流行にはどの程度敏感なのか。積極的に取り入れるのか否か等。それは人によって異なる部分であり、であるから彼女達の服装も「らしさ」を感じるものとなるのでしょう。
キャラクターの衣装を見るとき、最初に目が行くのはもちろんコーディネートそのものの見た目の良さになる。次に、個々のアイテムの良さを感じ取るはず。そしてここで戻るボタンを押さなかった場合は、そのキャラクターがなぜこのコーディネートや個々のアイテムを選んだか、ということを考えることになるはずだ。そうすると、上で高山Pが書いたような「服装には個人が反映される」というある種素朴なテーゼを信じることになる。 問題は、服装に個人が反映されていたとして、観察者が個人を完全に理解することはありえないということじゃなかろうか。「このアイテムをこの人が選ぶ理由がわからない!」と頭を抱えた結果、そのアイテムは今日寄る取引先の人から貰ったもので義理を通すために着用していたり、魔が差して買ってしまったものだったり、フリマか何かでおまけされたものの捨てられなかったりといった、こちらからは知り得ない理由で着用していることだってありえる。それはそれで個人を反映しているのだけど、そのアイテムに反映された「個人」を観察者が知ることはできない。そういうことはよくあるはずだ。 もちろん、シャニマスのアイドルたちは作られたキャラクターなのだから、観察者が全てを知り、全てに「らしさ」を感じることもできる。彼女たちは人に「らしさ」を売るアイドルなのだからなおさらだ。でも、逆に、そこにどうしても「らしさ」を感じられなかったとき、それはむしろ「彼女たちが彼女たちの世界で息づいている証左」になるのでは…… そういうことを考えて、シャニマスを始めたころの漏れは、「五色爆発」で料理のできなかった夏葉さんが「夏は短し海でしょ!乙女たち」で料理ができるようになっていたことに強く衝撃を受けたということを思い出した。そういうのシナリオ上でやらなくていいんだ!と思うと同時に、キャラクターが知らないところで変わっていると……嬉しい!!!と思ったことを思い出した。なんか最近はそういう、キャラクターの意外性に関心があります。
つくったもの
特になし。