ポップパンクのスーパーマン


雑記
ソウダ祭り
金曜は千葉にソウダガツオを釣りに行くことに決まった。この時期は毎年ソウダガツオの群れが接岸するので、釣り場はお祭り騒ぎ、朝イチの回遊を狙って前日の夕方とかから場所取り合戦が始まるとか…… でも満足した人から抜けるので、意外と釣座の回転は早いらしい。ホントかな? そもそもそんな漁みたいな釣りをして楽しいのかというのはあるが、東京湾近郊に住んでいてこの祭りを知らないまま過ごすのはモグリかなというのもあるし……とりあえず視察だ。
穴場の映画館
退勤後にスーパーマンを観に行った。本当は渋谷だと都合が良かったがちょうどいい時間にやっていないので、横浜ムービルへ行くことに。 横浜に用事がある人はムービルと聞けば「ああ、あそこね」とだいたい思い当たるほど印象的な場所にあるが、これまで入ったことはなかった。けど、入ってみたら案外いい小劇場の雰囲気だし、客も漏れ以外にはまさかの3人。3人て。採算取れてるんかな。 しかし、これだけ人がいなくて遠くもないならまた来たい。
つくったもの
特になし。
よかったもの
スーパーマン
フォロワーがカッチリ紹介してくれているのでこちらを読んでいただいて…… https://c-c-zine.com/superman/ まさにスーパーマンの「マン」にフォーカスした話。冒頭でスーパーマンがある国が他国へ侵攻するのを止めたことがわかるが、侵攻した国はスーパーマンの国(多分名前は出ていないがほぼアメリカ)の友好国で、さらに侵攻された国は独裁政権が民衆を苦しめているという噂もある。スーパーマンはそれは侵攻する側のプロパガンダだ、と吠えるが、確固たる証拠があるわけではない……といった具合に、明確な正義がわからない時代であることが強調される。スーパーマンはそんな葛藤やSNSで粘着するアンチなどに苦しみつつ、それでも戦うことを選択する、というわけだ。 それは確かにカッコよく、痛快なのだけど……一方で、スーパーマンの「マン」性が強調される度に怖さを感じてしまうのもまた事実。だって、SNSのアンチが作ったタグにキレる人が一国の軍隊を止める膂力を持っているんですよ。間違いながらも進んでいくのが人間だ、というスーパーマンの宣言には頷けるが、一方でスーパーマンほどのパワーがあったらもっと間違う可能性を減らす体制も構築できるのでは、とも思ってしまうし。 でもスーパーマンがまさに”移民”の象徴である以上、こういう「力があるから怖い」という恐れもまた偏見なのかもしれない。やっぱり取り得るのは「そういうやつがいるんだからしょうがない」という姿勢になるんだろうか。 映画の作りはとにかくキャラが魅力的で、特にジャスティス・ギャングは全員めちゃくちゃいい。ヒスパニックとアフリカ系が入っているのも象徴的だ。一方で、これだけ現代のコードに則っている以上、やっぱりブロンド女がアホだったり、侵略国家がイスラムっぽい意匠を使っていたりするのはいいんですか、と思ってしまうところもある。けど、完璧にできなくとも前に進むのが大事だって映画だしな。 「俺もパンクが好きだ。◯◯とか」「それってポップバンドじゃん」みたいな会話が中盤にあるのだけど、そこで挙げられた架空のバンドがエンドロールに流れる。それがちゃんとめちゃくちゃダサいのがすごく良かった。底抜けにお人好しで目に入るモノすべてを「美しい」と感じているスーパーマンが、超ダサいパンクポップに繋げられるの、カッコいいよね……